★トピックス NEWS

【『有間皇子ことはじめ展 』2015年度情報!】

《在野のかけがえない大切な観点を次代へ紡ぐ》
様々な文化喚起の取り組み…☆
★本年度3企画実施内容(別紙)並びに記念誌編集刊行をご案内申し上げます。

 2015年取り組みは、“みやこひめ御坊日高博覧会『御博』”3企画参加

和歌山の海難遺徳エルトゥールルの映画化に寄せて
 『クヌッセン
エルトゥールル〜海難遺徳から学ぶ』(10月25日)案内と講演
御坊古墳実在の地から古代史開眼の紐解き
 『有間皇子展&講演』(11月14日〜展示/15日講演・雅楽)
紀伊半島最西端・日本で唯一の開放型天文台の地で
 『星めぐり』
ライブ&星解説(11月21日)


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紀伊国に眠る有間皇子の古墳実在の地から、在野の大切さと文化喚起へと取り組んでいる東山の森Arkが、今秋一気に3企画!
共に今を着眼でなければ…の意義をもって〜☆彡

その他2案のスピンオフ企画詳細は追って掲載!
★全起案 企画・実施:東山の森Ark

 

『有間皇子展&講演』(11月14日〜展示/15日講演・雅楽)

●11月14・15日:
古代顕彰「有間皇子ことはじめ展示&ライブ」
当地同古代に眠る有間皇子と聖武天皇生母の藤原宮子、本年市制施行60周年記念誌を編集刊行した中からの講話、
そして今年のライブは雅楽(15日)/
両舞台DVD(RAKUYU)上映(14日〜)・道成寺御住職連載展示ほか。
(御坊市・ヤナギヤ&夢空間ふわり) /御博担当:小池正幸

  



■トピックス・過去ログ

『有間皇子ことはじめ展』2014(第3回)開催!】

《在野に眠る古代からの喚起『有間皇子ことはじめ展』2014》初の動画発表も!
古墳実在の地から地域喚起を目指しての取り組み。今年は古代象徴絵画からの推敲と、有間皇子に纏わる詩吟。
様々な体感から関心のきっかけを!の提起に、賛同ご参加の声嬉しく…。
講演者紹介も、恒例の朗読も、毎年の看板字も、皆、東山の森Ark地元顔ぶれ…。
この在野の手作り感は何物にも代えがたき喜びと輝き!/更には岩内1号(有間皇子)墳のオリジナル動画を初披露!
(定平研究室よりロケハン制作)
★2012年総務省後援の御坊・日高古代史開眼シンポジウム後、膝詰めの身近なところから遡及していく機会をと始めた「こ
とはじめ」展示とライブ。
今年は神獣などの「辟邪絵」制作講演と、ゲスト出演の詩吟による有間皇子纏わる萬葉集からの独吟など。恒例の古代史
開眼の朗読と重ね、様々な体感からの文化喚起へ(以下、出演者詳細)。

●今回の講演は、現代絵画で活躍の芝章文氏。
当会の古代喚起の取組みの象徴となる『鳳凰』制作、本年は母校日高百周年記念絵画『白澤』を制作、当会から寄贈、古代かなめの時代に登場する四神の聖獣から派生して「辟邪絵」からご自身のこれまでの制作系譜についてを講話。
展示では神獣の大作を始め、有間皇子に纏わる再現画(萬葉集に謳われた一景や肖像画)を展示。
講演では、大学講義に匹敵するような資料を配布。
これまでの制作系譜から現在に至るをプロジェクター投影しながらの解説。
/絵画展示の会場隣接のヤナギヤ店内の全席を講演会場に変えての講演。

●今回の客演は、地元・紫洲流日本明吟会。木村紫航代表ほか一門。
萬葉集より有間皇子に纏わる歌の独吟など、今回の為の吟詠を施しての披露。
★在野からの発信、このように参画のご意向頂く集積になったことが、この上なき至福の感☆
本年講演日29日は大安吉日!初の御朱印(鳳凰画)制作。
風水最良の地に造営された有間皇子墳の好機が傾聴される皆様への好機となるようよう祈念し、本年閉会〜次代へ…☆

●設営スタッフ:東山の森Ark

◆会場:★(展示)夢空間ふわり/

●芝章文作品・鳳凰ほか神獣・有間皇子関連

●新聞連載ほか記事展示

●特別展示:海外遺跡写真(トルコ他) 吉田恭(日高同窓・現海外赴任)

★(講演)ヤナギヤ本店/

●「辟邪絵〜」(芝章文)(紹介:阪本仁志)

●朗読「萬葉集に歴史を読む/森浩一著」(柳本文弥)/笛(山本隆史)

●詩吟木村紫航・紫洲流日本明吟会
萬葉集集巻二より「有間皇子の自を傷みて松が枝を結べる歌二首」を独吟
紀伊藩儒 那波活所 作の七言絶句「巌城に松を結ぶ」を会員有志で合吟
萬葉集巻二より「山上臣憶良の追ひて和へる歌一首」を独吟

★/司会進行・東睦子
◆設営:(東山の森Ark)

●会場協力:宮所忠喜(ヤナギヤ)

●会場題字:鈴木明子

●搬入:阪本聡 /搬出:佐々木たまみ・片山満希子・小池正幸

●会場対応:仲とも子・寺井みほ
ほか、ご来場皆さま、ご支援のお声、ご傾聴皆様に心より御礼申し上げます☆彡

 

 

 

 

 

 

 

 

 


■トピックス・過去ログ

【御坊市政60周年 文化遺産フォーラム展示協力(11月15・16開催!)〜有間皇子展示へ】

かわべ天文台の星をめぐった夜が明けた翌朝からスタートの「御坊歴史文化遺産展」へ、有間皇子関連の出典協力。天に地に眠る喚起へ協力の日は続く…。/遺跡遺構あれど、岩内
1号墳被葬者とされる有間皇子についての資料関連が他にないことから、市教委依頼を受けて有間皇子顕彰を行う「東山の森Ark」から所蔵画や検証記載の連載など展示。
(古墳出土遺物も同時展示)

●このフォーラムは、御坊市政施工60周年記念事業として「御坊の現在・過去・未来」と銘打たれ、[自然編・歴史編・祭礼編]として開催された。
自然編では、環境大臣賞も受賞したことのある鳥類研究(日高高校生物部)等、歴史編で、「遺跡からみた御坊」のなかで岩内古墳と、被葬者・有間皇子についての講演が行われた。

●有間皇子顕彰を行っての近年、在野に眠る大切なことを足元から着眼し次代へ紡ぐ…、まさに有間皇子墳発見発信を行って下さった故・森浩一先生が唱えた「地域学」の喚起へ。
連続奔走〜東京戻りへ〜週を明けて次週は又御坊日高の取組みへ〜たゆまず発信の一助砕身の次第…☆彡

 

 

 

 

 

 


■トピックス・過去ログ

【森浩一先生一周忌〜京都にて追悼の会に偲ぶ】

日本考古学の第一人者、森浩一先生が急逝されたのが昨年夏8月、その命日前の7月末前、森先生の学恩に多くの研究者並びに考古学携る方々による一周忌追悼『偲ぶ会』が京都にて
催され、生涯最後の絶筆に触れて頂いた有間皇子墳顕彰を行う身として、この日こそはと松葉杖と付き添い伴って出席させて頂いた。

●御遺影は、昨年ご生前の最後に、今後の森浩一顕彰記念室へ取り組む場へと託して下さった遺品の中からみつかった写真。/その取り組みの由縁となったのは、森先生が最後に古
墳の現場に立って下さった和歌山・御坊の有間皇子墳。生涯最後となる現地講演で「真実の日本史に関わる」と明言し、絶筆にも記して下さった後に昨年の急逝を迎えることとなり、今は遺影の向うとなった先生が、生涯の最後を賭して託して下さった「紀州学」の開拓の責務をあらためて痛感…。

●先生のご遺影の横に飾られた賞は、和歌山の在野の学者・南方熊楠の顕彰会からの賞のみ。森先生は、あらゆる権威に寄る叙勲を固辞し、在野学を唱えての取り組みのみを受理。
まさに、森先生が古墳発掘の姿勢にあった「定説に囚われず」新たな発見を成してきた姿勢が、多くの考古学の開拓精神を培ってきたと、来賓の挨拶にも表意され、その牽引ある巨星
に馳せる想いに、万感涙するご挨拶もあったほど…。

●私は、亡くなる前年の森先生の有間皇子の地での講演のあと、昨年末には、現地・御坊市で県下唯一の追悼の式を県知事他ご臨席のもと行わせて頂き、その会は森浩一先生を『偲
ぶ会』。…今回の京都での一周忌の会と重なる同名に符号を感じた次第…。

●「考古学は地域に勇気を与える」…そう名言頂いた森先生の遺志を次代へ紡ぐ責務がある…、一周忌追悼に寄せて、あらためてその意を痛感の考。

●於:式・京都/墓石・京田辺


 

 

 

 

 


■トピックス・過去ログ

【「森浩一の考古学」…同志社大開催での講演】

戦後初めて「遺跡保存運動」の理念を掲げ、破壊古墳の救済と、地域学の再興、定説に呪縛されない構築など、まさに考古学研究においての草創期からを実践された森浩一・同志社大名誉教授。
昨年の逝去を受け、同大での記念展示「遺跡を共有する精神」が先月12日から実施され、明日25日で開期を終える。
先だって11日に記念講演が行われ、森先生に関わる三者の方が登壇。その人間性の魅力が求心力となり、日本考古学のまさに開拓者であった旨が、様々な角度で語られた(講演者:文末記載)。
私にとって最も印象深く感じたのは、「破壊古墳」となって古代の息吹が滅却されるのを体当たりで守ってきた森先生の姿勢。戦中戦後をみると、古墳にとっては保存どころか、無残な人
的破壊が頻発!今や世界遺産を目指すといわれる百舌鳥(仁徳陵と俗称される大仙古墳を含む古墳群)に於いても、そのなかの大塚山古墳は戦中の空爆だけでなく、戦後は住宅地再建の為の壁土採土場として戦後最大の破壊に遭い、奈良ウワナベ古墳倍塚は占領軍施設造営の為のブルトーザーが入るなど、森先生が性急に取り組んだのは破壊から守らねばなら
ないという闘いだった。
黒姫山古墳では軍用機のガソリン用の松根油の採掘に前方部が掘削され、軍事演習の塹壕にまでなって荒廃するのを、当時の現地の高校の生徒を率いて調査発掘と保存を行ったの
が森先生。 
ボランティアという言葉では表せない歴史の生き証人の古墳を守り解明するのだという息吹に包まれ、学者でなくても手弁当で集まった若き少年たちは、森先生のカリスマ的魅力に惹かれて、その後の日本考古学上の主導的役割を共にし、昭和30年に入ってのイタスケ古墳保存運動を生む原動力になった。
この日の登壇者である橿原考古研・共同研究員の宮川氏は、森先生に牽引された“考古学少年”のお一人であり、現在に至る。
(私は、森先生の最初の高校教師の際の教え子であった方々に奈良で偶然お会いする奇遇に恵まれ、有間皇子墳の保存顕彰を取り組む私に森先生が遣わして下さったと感激した。その当時の様子を今回の講演で伺えたように感じる。/その奈良であった森先生高校教師の時代の教え子お二人は、今も在野の立場として大阪〜奈良の古墳を探訪されているとのこと。その眼は半世紀を経ても“考古学少年”の輝きのまま。若かりし頃に森先生の発掘調査に奔走した姿は、森先生の近書『森浩一の考古交遊録』にも出てくる。森先生が素晴らしいのは、ご自身の交遊録として司馬遼太郎先生と、この“少年”をも同列に著書に登場させていること。「在野学を最も尊ぶ」とされる自身の哲学がそのまま生き様になっていると感激する)
★この日の同志社大記念講演の副題が「遺跡を共有する精神」とある。
史実の生き証人として古来からの姿を留めんとする“古墳”は、万物共有の財産…と、森先生は当時の無法政府状態のような盗掘や、私物のような持ち帰りに楔を打ち、その多くが公的博物館や資料館に現在保護される形となって遺った。
同志社大では森先生により出土保全された埋葬物や遺物が展示され、果敢に取り組まれたその姿勢の変遷、200冊以上に及ぶ著書など、その考古学人生の集大成を拝観できる。
なかでも心に響くのが、名言の提示。『考古学は地域に勇気を与える』…これは私にとってのバイブルの一言。この提言を御旗に、現在私は紀伊国・御坊に終末期に唯一眠る皇位継承・有間皇子を被葬者と森先生に発見頂いた地を後世へ紡ぐ取り組みを行っている。
「在り得ない場所に、有り得ない時期に忽然と造営」された紀伊国・有間皇子(岩内1号)墳は、大宝元年へ向かう古代最大の要の謎として佇む。
森先生はこの取組を「真実の日本史に関わる」と現地御坊で最後の講演の際に発して下さった。
私は、今回の同社大での森先生考古学展での講演の最後に「森先生のこれまでを、今後へ紡ぐ使命があると感じています。私は学者でもない、一在野の身ですが、どうぞ、次代へ託された古代史かなめの古墳から紐解く一助へ、皆様の英知注視を手向けて下さい」と一言させて頂いた。
★この展示のパンフレットに添えられている一枚、それは森浩一先生の「百年後の考古学者への手紙」という表題で書かれた一文。
小学生のときにみつけた土器の破片が古代の須恵器だったことから始まった考古学人生、その後に出会った離島での考古学を愛する青年が戦死し、その手に保管された出土品は森先生に託されたこと、又ある行商が自分の弁当を半分わけて離島現地の取り組みを支えてくれたこと…その事例をあげて、「百年先になっても、歩いて自分の目で確かめること、それが学問の基礎であることは変わらない」と結んでいる。
今ではなかなか実行されていない「踏査」。私はその先生が在野に向けて下さった光明を、少しでも次代へ紡ぐ一助に…そんな思いをあらためてココロに抱く機会となった。

◆講演者:
●天野幸弘氏(元朝日新聞編集委員)/「森浩一とマスメディア」
●宮川 ?氏(奈良県立橿原考古学研究所)/「森浩一と遺跡保存運動の理念」
●寺沢知子氏(神戸女子大学教授)「森先生と園部垣内古墳の発掘」
★展示:同志社大・ハリス理化学館ギャラリー2F企画展示室
 開催/〜5月25日(日)まで(10〜17時) 入場無料


 

 

 

 


■トピックス・過去ログ
【2014年の幕開けに寄せて‥★】
《年頭のご挨拶》

これまで千余年を眠り続けた岩内(有間皇子)墳は、昨年の遺物文化財指定、一昨年の森浩一先生御坊講演での明言を経て、息
吹が注がれ、後世に遺すべくの東山の森ArkがNPOとしていよいよ本年本格的に始動へ。
ようやくの産声をあげた当地当活動
を幅広くご支援ご参加賜りますよう宜しくお願い申し上げます。旧年これまで様々にご傾聴いただいた皆様、そして色々な機
会起案にご来訪いただいた皆様、当ホームページへ向けて頂いた多くの皆様、全てに深き感謝を申し上げ、本年始動。/皆々
様の佳き一年を心より祈念し、本年も宜しくお願い申し上げます。

                     有間皇子墳顕彰・森浩一記念準備室 ≪東山の森Ark≫スタッフ一同。/元旦

東山の森Ark ロゴ
岩内1号墳(有間皇子墳)近影
2014.1.1掲載

■トピックス・過去ログ
【追悼 森 浩一 先生 『偲ぶ会』開催!】
《有間皇子眠る地に森浩一先生を偲ぶ》

日本考古学を牽引された森浩一先生急逝を受け、本年を終えるにあたり、有間皇子墳着眼の地、和歌山・御坊に於いて、顕彰を進める東山の森Ark運営のもと追悼の儀が行われた。/県知事臨
席、祭壇には古墳を准えた竹林の創作。供えられたのは「献茶」のたてまえ。御坊地元の方々が心を込めた協力は、他に類例なき「偲ぶ会」となりました。
古墳や遺構が実在することは地域の勇気となる『考古学は地域に勇気を与える』と説いた森先生の提言は、ここ和歌山の古墳群の踏査がきっかけとなったとのこと。この地にありての発信喚起
の意義を一層深める機にと心から祈念。
森先生奥様とスタッフで 献茶たてまえ:下田宗弘様(淡交会)
詳しくは「追悼・森 浩一先生」ページへ
2013.12.21掲載

■トピックス・過去ログ
【追悼 森 浩一 先生 『偲ぶ会』開催!】
《有間皇子眠る地より追悼 森 浩一先生『偲ぶ会』へ》

1300余年眠り続けた有間皇子が紀伊国に眠ると光明を与えて下さった森浩一先生!昨年、古墳現地の御坊市の講演が生涯最後となり今夏急逝。命がけでのご発声はまさに遺言!
その功労とこれまでへの深き感謝を込めて、古墳現地で県下唯一の追悼の会を設定。届いたハガキと、報じられた一面の記事、心からの追悼を行えることへ感無量。
森浩一先生(同志社大名誉教授)は、和歌山に在る日本最大の岩瀬千塚古墳群の調査責任者でもあり、そして御坊講演で掲げられた「紀州学」の提言。その御遺志を今後へ紡ぐ意義も含め、
和歌山県としての唯一の追悼の機会を起案。/12月15日に向けてのご案内へ届いた多くのご参加の返信。県知事にも深く受けとめて頂き、当日には森先生奥様(同志社女子大名誉教授)
のご臨席。
本年を閉じるにあたり、森浩一先生へ当地から心を込めての"献茶"のたてまえと黙祷。ここまでの有間皇子墳の顕彰喚起へ動いてきた東山の森Arkとして、森浩一先生の提起
された「地域学」から『紀州学』への起動と、遺品所蔵から森浩一先生記念室の取組みを行いたいと思います。このたびの偲ぶ会へ、ひとかたならぬご尽力とご協力を頂いた主催ご協力
皆様へ心から感謝申しげますと共に、今後へ託された構築へノひとりでも多くの皆様のご理解ご参画の程を宜しくお願い申し上げます。
『森浩一先生 偲ぶ会』
日時:12月15日(日) 18:00〜
於:和歌山県御坊市「花ご坊」(2階大広間)0738(22)2326
(事前申込みの他、当日用記帳準備予定)
問い合わせ:東山の森Ark事務局 
当日のご参加急務の場合は上記携帯にご連絡ください。
森 浩一先生『偲ぶ会』の案内状
返信された偲ぶ会の案内状
報じられた1面の記事
日高新報
2013.12.11掲載
 

■トピックス・過去ログ
※ 《日高新報の連載専用コンテンツ開設! 以下の後続は「日高新報」連載記事サイトへ!》 日高新報連載記事

『有間皇子・新聞連載 第四弾発信!』 

≪連載vol.3「御坊に眠る古代の鍵 - 有間皇子の謎」≫      
古墳実存の地から古代の謎を解く… 連載第3回。
『有りえない時期に、在り得ない規模で』存在した古代史最大の謎、有間皇子墳の始まりに触れる。
古墳時代も終わりを告げる頃に、忽然と都から離れた紀伊国に造営された古墳。その大きな切石は、戦後調査で「破壊古墳」と認識されるまで、江戸の時代には近くの熊野神社の石段にと天井
石は除去され封土も無くなっていた。
昭和の時代に森浩一先生が紀伊国で中大兄皇子の謀略で没した有間皇子との着眼が成されなければ、永劫に眠りについたままだったかもしれない。
森浩一先生が「有間皇子事件は真実の日本史に関わる」と御坊講演で明言頂いたように、この古墳の造営時期と規模は「ありえない」様相を呈して、今を解明の時と佇んでいる。
(『日高新報』記載4回目・連載第3回/次号は森浩一先生講演一周年記念特集)
          
 
2013.10.13掲載

■トピックス・過去ログ
『有間皇子・新聞連載 第三弾発信!』
≪☆森 浩一先生ご逝去ノ☆【追悼】≫ 日高新報連載記事

有間皇子・新聞連載 第三回【追悼】有間皇子墳着眼提起の森 浩一先生急逝によせて。
森 浩一先生急逝を受け、喪に伏したように8月後半を駆け抜けましたノ。ようやく追悼記事にまとめて一筆一考)

森 浩一先生、生涯最後の講演の地となった有間皇子墳の地より、新聞連載の8月末記事を森先生特集として追悼記載。
「眞実の日本史の手がかりとなる」とまでご発声頂いた有間皇子墳存在する和歌山・御坊での現地講演、事前に訪れた古墳現地、昨年のそれぞれが最後の現地実踏となりました。
その有間皇子を含む内容を記した『敗者の古代史』が生前最後の著書となり、生涯最後を託すように注がれた意は大きくとあらためて実感。
先生は「考古学は地域の勇気に‥‥」と提唱され、その実踏は「地域学」開花への種蒔きのごとくと感じます。
最後の現地講演は、都を離れて眠り続ける有間皇子の魂を甦らせるごとく、命を賭したご登壇はまさに降臨のごとくの瞬間でした。
森 浩一先生の著書約200冊、離島にまで及んだ地域学は、東北学や東海学の樹立にも及び、最後の講演で「紀州学」の必要を掲げたのが最後となりました。
蒔かれた種を育てるのは地域皆に課された使命と痛感します。
今月の追悼式に寄せて‥‥合掌。
                                          『日高新報』毎月末週末掲載/後続詳細は、継続連載へ‥‥‥ 2013年9月4日
2013.8.31掲載

今回掲載2回目(連載文初回)は「古代は過去に在らず、皆の足元に息づく!」ということをテーマに、身近なミカン山に存在した大きな切石が古墳と着眼された時の驚きと、
この古墳発見の着眼を頂いた森浩一同志社大名誉教授が日本考古学を極める道に至るきっかけが、小学校の時に川で拾った欠片が古代の須恵器であった感動にあるということを記した。
幾千年も経て地に眠り続ける古代遺構・遺跡ノノ。それは今を気付けと問いかけるように佇み、又逆に、その着眼無くしてはまた永劫の眠りについたままとなる。
これは机上の展示物ではなく、その地に存在し続けるという脈打つ息吹を湛えている。
森浩一先生いわく「考古学は地域に勇気を与える」(連載前プロローグで記載)。/当地にあることは、その存在の意味の探究をそそり、そこに造営の意味合いを発見することができる。
古代史最大の謎として、天智天皇に世継ぎ治政の場を滅却された有間皇子が、奈良飛鳥以外の地に唯一造営された終末期古墳(岩内1号墳)の被葬者となれば、尚のこと「真実の日本史にかかわ
る」と森先生が地元御坊講演で発せられた一言に集約され、地元こそ目覚めねば、いや、日本正史に問いかけねば、そのエナジ?は、遠くの机上ではなく、こんなミカン山の一角に存在する。
その直近の感動と、誰もが発見者となる威光を放っていると伝えたくの連載記事第一回となった。
有間皇子墳と同じく終末期の古墳で周知されている高松塚古墳も、ある村人が生姜を貯蔵しようと堀った地中から発見され、考古学史上最大の極彩色壁画の発見に至り国宝となっている。
このことも文中で触れ、いかに身近に過去が現在に存在しているかノノ、その何気ない発見から古代の息吹が守られ、創世の起源に至るかを伝心したくの一投‥‥。 
                           
                                                『日高新報』毎月末週末掲載/後続詳細は、継続連載へ‥‥

≪古代は過去に在らず、皆の足元に息づく!≫

有間皇子・新聞連載 第一回『謎解きの入口は足元に』(〜古代の鍵・有間皇子の謎)
★近年取り組んでいる郷里紀伊国に眠る有間皇子ノノ古墳からの検証?今春の遺物文化財指定へ至り、連載開始!
先月の初回掲載は、取組みへの「プロローグ」。
■トピックス・過去ログ
『有間皇子・新聞連載 第二弾発信!』
 日高新報連載記事
「日高新報」連載 2013年7月27日付け
2013.8.3掲載

■トピックス・過去ログ
『和歌山の海難友誼の遺徳について『3つの海の物語』講演実施!

≪講演(三つの海難遺徳から学ぶ紀州に纏わる話『3つの海の物語』)新聞掲載。!≫

和歌山の海難友誼の遺徳について→7月20日和歌山市で『3つの海の物語』講演実施!
/エルトゥールル/トルコ(串本)、クヌッセン/デンマーク(御坊・日高沖)、それぞれが互いに周知されていないことを和歌山地元として喚起へと今春の御坊講話の際に提起。
(もう一つは教訓としてのノルマントン号事件/イギリス)。
海に纏わる様々な所以、古くは古代・有間皇子?塩屋連からの由縁がこの紀伊国に培うべき遺産と結んで、講話させて頂きました。
                                                              有間皇子墳喚起&地域古代史検証ノ≪東山の森Ark≫
2013年7月20日 講話
2013年7月20日 講演会出演者
2013年7月24日付け 和歌山新報に掲載
2013.7.31掲載

■トピックス・過去ログ
『古墳実在の地より:周知喚起への取組み・新聞連載開始へ!』 日高新報連載記事

≪古墳実在の地より新聞連載開始!≫

「真実の日本史にかかわる」と有間皇子墳着眼の森浩一先生!提唱された「考古学は地域に勇気を与える」をここ古墳存在する地から発信の取組みが地元としての責務と決意!
周知喚起が無ければ多くの遺構が潰された現実を目の当たりにし、喚起へのエネルギーを収束させる訳にはいかずの砕身ノ。 古墳着眼から四半世紀以上放置された状況を憂い「いま声を上げな
ければ、また千年の眠りにつく‥‥」と紙面見出しに記させて頂いた。 和歌山・御坊岩内の墳丘に眠る有間皇子、古墳の県文化財指定が昭和54年6月、埋葬遺物について本年ようやく文化財
指定となり、同月新聞連載の要請を受け、本日大安吉日よりスタート!/昨年には森浩一先生(同志社大名誉教授)の現地御坊講演が実現! 古代史講演にも関わらず満場の申し込み。全国遠来
からの来場もあり、いかに、倭国日本の構築の基であった父孝徳とその後継であった有間皇子というかなめが、今も紐解かれず、最後の解明を待たれているか、そして、地元にとっては「なん
やろ?なにがこの地にあるんやろ?」という未知の関心へと、この地が深き尊き意味を持つということの探究への関心を物語っていると痛感。/広く、普く、そしてより多くのご賛同と英知を
と願っての孤軍奮闘‥‥、ぜひ多くの関心と協力を寄せて頂ければと心より願って‥‥。
                                                              有間皇子墳喚起&地域古代史検証ノ≪東山の森Ark≫
日高新報 連載スタート 6月27日付け 日高遺物文化財指定に供えられた花束
2013.6.1掲載

■トピックス・過去ログ
『岩内1号(有間皇子)墳遺物が県有形文化財指定決定!』
日高新報webサイト

≪文化財指定決定の日に古墳現地で講話≫

奈良飛鳥以外で終末期唯一の皇室後継者古墳が和歌山に存在。千三百余年を経て眠り続けた古墳の埋葬遺物も文化財決定に至った。声を揚げなければ展示もされずの現状に着眼喚起をと動いて
一昨年常設展示が叶い、昨年には古代開眼講演の実現へ紡がれ、指定文化財決定に至った。その同日に、御坊現地で私の講話の機会を予定。昨年来、文化財審議の発表がいつになるか予測
つかなかったなか、講話当日の公示発表!奇遇以上の符合を感じ、至福極まりなく、一層使命を感じる次第。いわく、無念の刑死を中大兄皇子の謀略で成された有間皇子が、悠久の年を経て、
問いかけてくれているように感じる。
私が先祖来所有していた地に古墳が在ったという使命から再着眼をと思ったのは、一昨年の平城京遷都千三百年に奈良が沸いていた時。時は同じ七世紀頃に没した有間皇子について、古墳があ
る和歌山・御坊市は?とみると、何一つ動きなく、更には埋葬遺物は展示もされず、資料館の奥の引出しにしまったままだった。
「着眼の意識が無ければ、此処にある遺跡は消滅していく」と憂えた返事を下さったのは、有間皇子墳着眼の森浩一同志社大名誉教授だった。私は四半世紀以上を経て、森先生の門戸を叩き、
今一度古墳着眼喚起への取組みに、ご発声頂きたいと打診。そこから先生との書簡やりとりが始まり、地元教育委へも問いかけ、遺物展示と、森先生の御坊現地講演の実現に至った。
光が当たったのは一昨年来から再着眼を呼びかけ、昨春に奈良文化財研究所創立60周年記念の飛鳥資料館展示に至ったこと。それは岩内1号墳・有間皇子を被葬者と裏付ける論拠となった重責
な遺物(銀線蛭巻大刀)。メインの展示となったこと。ところが、それすら地元では報じられず周知されずだった。有間は大刀の形で、没して千三百余年を経て、奈良の地に戻れたのだ。この
感激を地元が知り得もしないということが残念。そこから私は地元媒体への情宣、顔を出しての取材も受けて、少しでも地域周知喚起へと動いた。
そして実現したのが昨年末、現地の和歌山御坊市で古墳発見着眼者の森浩一同志社大名誉教授の講演と、元NHK松平アナ司会によるシンポジウムの開催だった。この機に動かねば、又有間皇
子の魂は千年の眠りにつく、そんな思いから動き始めた孤軍奮闘は、着眼への一歩となり、まさに「その時、歴史は動く」瞬間に至り感無量。御坊現地で、私の講話予定当日に指定文化財の公
表に至ったのは、有間皇子からのご褒美かな?と思いたくなるほど。きっと、今後へ、次世代へと紡いでほしいエールと受けとめ、できる限りの周知へと発信のバトンを亙したい

(5月31日各紙発表) 講話:御坊商工会館(御坊RC)に於いて
5月31日付け各紙発表
≪古墳発見来の再喚起発声/文化財指定と掲載へ≫

岩内(有間皇子)墳の発見文化財指定から30余年、ようやく遺物文化財指定決
定を受けて、同日御坊で講話。御坊RCの機会を得て、ようやく顔出し、発声
の喚起へ!これは使命感を持っての動き。千三百余年を眠り続けた岩内墳丘。
最後に古墳地を所有してきた先代から使命を授かったように、今が発信の時と
再着眼喚起!古墳を有間皇子と着眼頂いた森浩一同志社大名誉教授の現地御坊
講演が叶ったのが昨年11月(有間皇子命日月)。地域が目覚めなければ、又永劫
の眠りにつく、講演が終着点ではない、ここをきっかけに周知喚起へ。
私の粉骨砕身はまだ続く、顔出しは本意ではないが、呼びかけを地元からコ
ツコツと、ここから先のエネルギーは一層の持久戦をもって、この地域が日
本全国に誇れる史跡が実在する地と関心喚起へ。終末古墳時代、薄葬令が敷
かれた時代に、奈良飛鳥以外で唯一の天皇後継相当方墳の造営。それがなぜ
紀伊国のこの地に。その太古最大の謎は、この地が有する意味合いを大きく
暗示している。
先ずは地域の気付きへ。森先生いわく『考古学は地域に勇気を与える』その
行脚に身を呈して発信の次第。
協力ご理解の地域各位に深謝を重ねつつ、このあと和歌山市での講話など、
他地域への行脚は続く。

                 (古墳地元喚起≪東山の森Ark≫主催)
★地元紙で講話掲載と、文化財指定公示掲載
(いずれも同日であった奇遇嬉しく)
講話:御坊商工会館(御坊RC)
『有間皇子墳地元の御坊市で代表の講話≫ 【御坊ロータリークラブ (5月31日/金)】

■岩内1号(有間皇子)墳を巡る御坊・日高に纏わる古代からの継承   東 睦子様

【岩内1号墳】
有間皇子埋葬とされる由縁からの検証と顕彰
★御坊・日高に秘められた深く大きな意義
 『考古学は地域に勇気を与える』(森浩一同志社大名誉教授)
 1 岩内1号墳とは。
   昭和の時代の発掘と受けとめ方
 2 再度着眼喚起へ。 
 3 周知への取組み:公演と後続展と、今後へ。

【有間皇子・岩内1号墳の取組みについて】
■《「眞実の日本史」に繋がる》森浩一氏。
 1 なぜ古墳か?
   なぜ御坊・岩内に古代史かなめの要人(有間皇子)が眠るのか?
 2 秘められた謎解き。
   地域に求められる使命から自負へ。
 3 考古学は今と未来を知る原資。
   地に根付く『考古学は地域に勇気を与える』の意義。
 4 地域発信へ。

【東山の森Ark】開設  http://www.arima-higashiyama.com  事務局:御坊市岩内東山池の下(東方)
◎難波の宮にて、父・孝徳天皇らと平穏な日々を送っていた
であろう有間皇子の14〜5歳頃の肖像。
※【絵画・イラスト・写真の取扱い及び検証内容は当会に帰属し、許諾を要します】
講話:和歌山市
(和歌山南RC)
≪遺物文化財指定後、御坊から和歌山市で初発声の機会≫

有間皇子墳遺物文化財指定の決定を受けて、御坊市講話に続き7日に和歌山市で初の発声の機会!昨年末の古代史開眼講演の息吹を伝えるべく、映像で資料や画像を交えての講話。各講演用資
料もオリジナルで作成しの行脚。それほどの重責と感じての発信。/古墳着眼の森浩一同志社大名誉教授いわく「これは真実の日本史に関わる」と発見着眼頂いた森浩一先生の重き一言を伝心
すべく、広域に伝えたくの活動の一助。和歌山全土で受けとめて頂きたいという一念、ようやくの派生の機運嬉しく、これからも粉骨最新の次第。紀伊国に唯一眠る終末期方墳(皇室後継・有
間皇子墳)についての取組み:再着眼を取り組んでから、民俗資料館での遺物常設展示が叶い、昨年の有間に纏わる古代史開眼講演と紡ぎ、今春の審議により埋蔵遺物の文化財指定の決定!その決定公表の月に、古墳現地の御坊と、7日には和歌山市での説明(卓話)の機会が実現。歴史学の机上論ではなく、実在する考古学は悠久の力をもってメ今モに着眼をと威光を唱えている。
いよいよこれからが本髄、孤軍奮闘から周知多くの方の支えがなければ次代へ紡ぐことはできない。ぜひ一人でも多くの方の関心と協力をと祈念。
                                                                              ≪東山の森Ark≫
2013.6.1掲載

■トピックス・過去ログ
『岩内1号(有間皇子)墳遺物が県有形文化財指定へ審議!』
日高新報webサイト

≪終末期古墳として奈良飛鳥以外に殆ど類を見ない造営の岩内1号墳、被葬者を有間皇子として森浩一先生に提唱され、昭和の日54年に有形文化財指定されたが、遺物についての指定は
まだ成されていなかった。今回の文化財保護審議委員会での諮問で史跡決定されれば、半世紀を経て、内実共に有史意義を持つ史産となる。ここまで有間皇子顕彰へ喚起発信を行ってき
た当東山の森Arkでは、昨年春の飛鳥資料館での遺物(大刀)展示や、年末の「有間〜」古代史開眼シンポジウム(森浩一講演)への原動に至ったことが何よりの意義ありと、今回を含め、取
り組みの手応えに至福を感じる。

岩内1号墳からの出土品
銀線蛭巻太刀
2013.4.7掲載

■トピックス・過去ログ
《頌春》 古墳も年頭飾りで万来を歓待!
2013年〜 新しい年にバトンが渡りました。皆さんはどこで新年の幕開けを迎えましたか?
御坊に眠る古代史かなめの岩内1号(有間皇子)墳。昨年の講演を終え、新年の来訪を歓待するように、佇みます。
新年を迎え、これからは「有間皇子ことはじめ」の会で、少しずつ地元皆様の声を集めて、今後の顕彰へと紡げればと思います。本年も宜しくお願いします。
古墳:(柵)正月飾り 東山池/前湖面
2013.1.1掲載

■トピックス・過去ログ
●御坊市歴史再発見シンポジウム 「有間と宮子」〜御坊・日高に眠る古代史開眼〜
『いよいよ11月10日講演の公示が始まる!』

御坊・日高に眠る古代の歴史開眼へ、日本考古学の第一人者で、岩内1号墳を有間皇子と着眼発信された森浩一同志社大名誉教授による唯一の基調講演が現地御坊で実現へ!
元NHKアナウンサーの松平定知氏に、映画『娘道成寺 蛇炎の恋』の高山由紀子監督、萬葉集・国文学第一人者の駒木敏教授を迎えパネルディスカッションあり。
映像紹介では、人気歴史漫画『天上の虹』で第一巻から有間皇子を描いた里中満智子氏がビデオコメント、そして本講演用に制作の映像紹介。
全構成は『東山の森Ark』。
『考古学は地域に勇気を与える』...森先生が唱えた在野学、その起動となるべく、未来の地域力に繋ぐべく発信。
御坊・日高、しいては日本の古代史かなめ大化の改新へ向かった時代の謎解明へ、ここ道成寺創建と古墳造営が南北に配される当地から、喚起へと期待。
11月10日13時〜御坊市民文化会館へ!(入場無料・先着締切/事前申込み整理券発行)

   ■主催:御坊市/御坊市教育委員会/(財)自治総合センター 後援:総務省
   ■構成:東山の森Ark〈有間皇子顕彰会〉
   ■協賛:宮子姫顕彰会/御坊市文化協会/御坊文化財研究会/NPO法人スサノヲ

御坊歴史再発見シンポジウム
シンポジウム チラシ表面 シンポジウム チラシ裏面
シンポジウム ポスター 2012.10.29掲載

■トピックス・過去ログ
『(国)奈良文化財研究所【飛鳥資料館】に有間皇子墳(岩内1号墳)の遺物展示決定!』

今春、(国)奈良文化財研究所【飛鳥資料館】に有間皇子墳(岩内1号墳)の遺物展示決定のニュースがHPに発表された!
長らく岩内の墳丘に眠り続けてきた皇子塚の出土品が御坊を出て飛鳥の地へ。今回、7世紀に活躍した将軍・阿倍引田臣比羅夫を取り上げ、飛鳥時代の武器の特集として「銀線蛭巻大刀」が出品
予定!
銀線蛭巻太刀
飛鳥資料館「春期特別展」
飛鳥資料館とは 2012.3.8掲載