岩内1号墳について
岩内(いわうち)古墳群は、日高川河口から約2キロさかのぼった左岸丘陵上に立地しています。
なかでも岩内1号墳は、横穴式石室を持ち、墳丘に沿って北・東・西の三辺に周溝をめぐらした一辺の最長が19.3mの
方墳で、7世紀中頃以降に造営された県内でも数少ない終末期古墳の一つに数えられています。
昭和24(1949)年頃に行われた発掘調査で、木棺に塗られた漆の破片や銀線蛭巻太刀、六花形の鉄製棺飾金具などが
石室内で発見され、昭和54 (1979)年度の調査では、版築(粘土を突き固める)という技法で墳丘の盛土が造営され
ていることや被葬者を安置した床面が7世紀後半頃に作り直されていることなどがわかりました。昭和57(1982)年度に石室・墳丘を復元し、史跡としての環境整備を行いました。被葬者は、木棺に棺飾金具や全国的にも数少ない漆塗の
装飾がされていること、副葬品(銀線蛭巻太刀)・造営の技法(版築)などから大変身分の高い人物であったと考えられ
ています。
その候補の一人として、658年蘇我赤兄の謀略あるいは中大兄皇子(のちの天智天皇)の陰謀によって、紀伊の牟婁温
湯(今の白浜温泉)に滞在中の中大兄皇子のもとに謀反の罪で連行され、処刑された悲劇の皇子「有間皇子」(640〜
658年)があげられています。
                                 資料:御坊市教育委員会生涯学習課
          
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【岩内1号墳(岩内古墳群) 和歌山県指定文化財(史跡)】
【岩内1号墳出土遺物 御坊市指定文化財(有形文化財)】

■御坊市
◆岩内1号墳
 
県史跡。御坊市岩内の丘陵上にある7世紀中頃の一辺13mの方墳で、南以外の三方向に周溝を巡らしています。主体部
は南に開口する横穴式石室で、全長6m、玄室長2.5m、幅2m、羨道長3.4m、幅1.5m。奥壁と側壁のみ残されていま
したが、現在は天井部と墳丘が復元されています。
2012年春、(国)奈良文化財研究所【飛鳥資料館】に展示決定

岩内1号墳 近影 岩内1号墳からの出土品(銀線蛭巻太刀等)
銀線蛭巻太刀
御坊の歴史を探る

本資料館は郷土の遺産を調査・収集保存するとと
もに、展覧会・講座・体験学習などの行事を行
い、市民の郷土文化に親しむ場として活用してい
ただけるように建設されました。
★主な展示物
・日本最古の青銅器ヤリガンナの鋳型が出土した
弥生時代前期環濠集落堅田遺跡出土の鋳型・土
器・石器・木製品・溶炉遺構・有間皇子の墓説の
ある岩内1号墳から出土した遺物
・岩内3号墳出土の遺物
・迦楼羅王尊像(カラス天狗のミイラ)
・農業・商業・漁業に関する資料
 
墳丘(南西より)
【昭和54年度発掘調査】
第1次床面(南西より)
【昭和54年度発掘調査】
  資料:御坊市歴史民俗資料館
 
NPOスサノヲ歴史民俗資料館